「心配してくれる」が、しんどい

夫に子どもをお願いして、私が出掛けることがある。

そのとき私は、夫に子どもをお願いしている。

なのに、義母が夫に声をかけて、手伝おうとする。

「大丈夫?」「お昼は用意してある?」と。

私は夫に子どもを見てほしくて頼んでいる。

一緒に住んでいると、夫に対してもいつまでも「子ども」という感覚なのだと思う。

もう大人なのに、何かあるたびに心配している。

そんなふうに心配させる夫も夫なのだけど。

孫のこともそう。

少しでも何かあると、すぐに心配して、いろいろなことを提案してくれる。

「こうしたらいいんじゃない?」
「大丈夫?」
「病院に行ったほうがいいんじゃない?」

心配してくれているのは分かる。

でも、正直しんどい。

勝手に心配して、気になって、早く解決したくて仕方ないようで。

そして、その「心配」が、いつの間にか私たちの家庭に入ってくる。

義母は、この二世帯住宅をまとめあげる中心人物なのだと思う。

家族のことを気にかけて、みんなをまとめて、みんながいい方向に進むようにしたい。

それが、義母にとっては生きがいなのかもしれない。

孫たちにも立派に育ってほしい。

家族みんなにちゃんとしていてほしい。

そして、世間から見ても「いい家族」でありたい。

そんな思いもあるのだと思う。

私は中心人物になりたいわけじゃない。

家族みんなをまとめたいわけでもない。

ただ、自分たちの家庭を、自分たちのペースで生活したい。

別世帯なんだから、もう少しプレッシャーを感じずに暮らしたい。

義両親が「二世帯で暮らせて幸せ」と言えば言うほど、私はどんどん苦しくなる。

同じ家に住んでいるからといって、同じ家族の形を求めなくてもいい。

心配してくれることが、必ずしも「ありがたい」のではない。

そんなことを、最近よく思う。

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