二世帯住宅で暮らしていると、家の中なのに息が詰まるように感じることがあります。
そんなとき、私を癒してくれるのが一歳の猫です。
家のことで辛くなったら、猫をぎゅーっとして、猫吸いをしています。
ふわふわの毛を吸っていると、不思議と少し元気が戻ってくる。
何も知らずにそばにいてくれる猫には、本当に感謝しています。
私の負のオーラ、うつしてたらごめんよと思いつつ…。
今日も猫に癒されながら、なんとかやっています。

日々のモヤモヤや、ふと思ったこと。
二世帯住宅で暮らしていると、家の中なのに息が詰まるように感じることがあります。
そんなとき、私を癒してくれるのが一歳の猫です。
家のことで辛くなったら、猫をぎゅーっとして、猫吸いをしています。
ふわふわの毛を吸っていると、不思議と少し元気が戻ってくる。
何も知らずにそばにいてくれる猫には、本当に感謝しています。
私の負のオーラ、うつしてたらごめんよと思いつつ…。
今日も猫に癒されながら、なんとかやっています。

子どもたちは今、思春期・反抗期です。
親に反抗したい気持ちがあるのはもちろん、祖父母に対しても「ちょっと放っておいてほしい」と思うことがあるようです。
でも、一緒に暮らしていると難しい。
祖父母には、どこまで反抗していいんだろう?
どこまでなら許されるんだろう?
親子なら「今は反抗期だから」で済ませられることでも、祖父母となるとそう簡単にはいきません。
同じ家に住んでいるからこそ、孫と祖父母の距離感って難しいなと思います。
そして、うちの場合は、義母が母親のように子どもたちに接することがあります。
子どもたちからすると、
「お母さんじゃないのに、なんで言ってくるの?」
という気持ちもあるみたい。
私自身も、そこはちょっと違うんじゃないかな……と思うことがあります。
二世帯住宅って、大人同士だけじゃなく、子どもと祖父母の距離感も難しい。
子どもが成長していくほど、その難しさを感じるようになりました。
階が上下で別れている二世帯住宅なら、意外と平気そうに思えるかもしれない。
でも実際は、常に義両親の存在を気にして生活している。
義両親のことを考えていない時間は、パートに出ている時間くらいかもしれない。
床越しに聞こえてくる話し声やテレビの音。
戸を開け閉めする音。
朝から玄関で大きな声で話している声。
出掛ける時、玄関で鉢合わせて一言話すのが面倒だから、なるべく時間をずらして出掛ける。
外から帰ってくる時も、鉢合わせないように義両親の昼食時間を避けて帰宅する。
出先にいても、そんなことを考えている。
もうそれが普通になっている。
でも、よく考えたら。
これは普通じゃない。
自分の家に帰る時間まで、誰かを避けるために考えなければならないなんて。
夕方以降も、門や玄関の鍵を閉め切ってから「ちょっとコンビニへ」という外出がしづらい。
小さなことを言い出したら、キリがない。
ひとつひとつは、本当に小さなことなのかもしれない。
でも、こういった小さな不満や気疲れが積み重なっていく。
10数年。
自由なようで、自由じゃない生活。
この生活が、あと10年続くのか。
20年?
もしかしたら30年?
いつか介護が必要になったり、子どもたちが成人したりすれば、生活は変わっていくのかもしれないけど。
でも。
あと10年も、このままの生活を続けられるのか、自信はない。

二世帯住宅はおすすめしない。
そんなことばかり書いているけれど、二世帯住宅にメリットがなかったわけではない。
子どもが小さい頃は、義両親に子どもを見てもらえることがあった。
上の子を送迎している間、下の子を見てもらえる。
子どもが複数いると、助かることもあった。
誰かに預けるためにわざわざ出かけなくても、同じ家にいる。
「ちょっと見ててもらえる?」ができる環境は、子どもが小さい頃には確かにメリットだったと思う。
そして、一緒に住んでいるから帰省する必要がない。
お盆やお正月に「義実家に行かなきゃ」と移動する時間もない。
毎日顔を合わせているから、久しぶりに会ってよそよそしくなることもない。
子どもたちにとっても、祖父母はいつも近くにいる存在だった。
そう考えると、二世帯住宅にもメリットはある。
特に、子どもが小さいうちは助かる場面も多いと思う。
ただ、私の場合。
そのメリットと引き換えにしてまで、一緒に住み続けたいと思えるかというと、今はそう思えない。
子どもが小さい頃に助けてもらったことは事実。
でも、子どもが大きくなった今も、ずっと同じ距離感で暮らし続けなければいけないのか。
二世帯住宅のメリットを受けたことと、これから先もずっと一緒に住み続けることは、別の話なのかもしれない。
私は、二世帯住宅はおすすめしません。
むしろ、どうしても二世帯で暮らさなければならない理由がないのであれば、
二世帯住宅なんて、なくなってしまえばいいとすら思っています。
もちろん、お金の面で支え合わなければ生活できないとか、どうしても二世帯にする必要がある理由があるなら、話は別です。
でも、
「長男だから土地を継ぐから」
「将来、親の介護をするから」
「孫と一緒に暮らせるから」
そんな理由だけで、まだ何年も先のことを考えて、早い段階から二世帯住宅にするのは、私はおすすめしません。
実際に一緒に暮らしてみないと、分からないことがたくさんあるからです。
もし、それでも二世帯住宅にするなら、ルール作りは必須だと思います。
そして、そのルールは夫婦だけでなく、親世帯にもきちんと理解してもらう。
「家族なんだから」
「同居なんだから」
「いつでも行き来していい」
そういう曖昧な状態で始めないこと。
私なら、もう一度二世帯住宅を選べるなら、完全分離にします。
玄関も、お風呂も、生活スペースも、共有部分は一切いらない。
それくらい、お互いの生活に干渉しない距離が必要だと思っています。
もちろん、完全分離にしたとしても、
「最近、顔を見せに来ないね」
なんて言われる悩みはあるのかもしれません。
一緒に住むことと、いつでも干渉できることは、別。
これから二世帯住宅を考えている人には、
「本当に二世帯でなければいけないのか?」を、建てる前にもう一度考えてほしい。
私は、そう思います。
二世帯住宅で暮らしていて、時々思う。
この家って、いったい誰の家なんだろう。
もちろん、義両親の家をリフォームして二世帯住宅になった。
だから義両親にとっては、もともと自分たちが住んでいた家。
でも、私たち家族もここで生活している。
毎日ここでご飯を食べて、子どもたちが学校へ行き、帰ってきて、寝て、生活している。
私にとっても、もう「住ませてもらっている場所」ではなく、生活している家のはず。
なのに時々、
「義両親がこの家全体を仕切っている」
そんな雰囲気を感じることがある。
別に何かを直接言われたわけじゃない。
でも、
「ここはこうする」
「それはこうした方がいい」
「心配だから」
「何かあったら困るから」
そんな言葉や雰囲気の積み重ねで、なんとなく息苦しくなる。
心配してくれているだけなのかもしれない。
悪気があるわけでもないのかもしれない。
でも私は、
自分のことは自分で決めたい。
子どものことも、家庭のことも。
何でも義両親に心配されて、気にかけられて、意見を言われる生活は、正直しんどい。
二世帯住宅って、距離が近いからこそ難しい。
「家族なんだから」
「心配しているだけ」
そう言われたら、何も言えなくなる。
でも、私はただ、
自分たちの家庭のことは、自分たちで決めたいだけ。
この家で暮らしているのは義両親だけじゃない。
私たち家族も、ここで毎日生活している。
だから時々思ってしまう。
二世帯住宅って、結局誰が家の主なんだろう。
そして私は今日も、自分の家にいるはずなのに、
どこか「お邪魔しているような気持ち」になる。
逆に、二世帯住宅で何の問題もなく、難なく暮らしている人っているのだろうか。
もしかして、二世帯住宅がしんどいのは、私の性格が悪いから?
私の性格が二世帯住宅に合っていないだけ?
世の中には、義両親と程よい距離で仲良く暮らし、干渉されてもそれが当たり前になっていてストレスなく二世帯住宅で生活している人もいるのかもしれない。
そういう人から見たら、私は気にしすぎなのかな。
でも、毎日顔を合わせて、義両親の考えの範疇で生活して、共有する場所もあって。
「家なのに、なんとなく気を使う」
そんな生活が、私には思っていた以上にしんどかった。
義両親との関係が良かったり、完全分離で生活がほとんど重ならなかったり、二世帯住宅でも、うまく暮らせる条件はあるのだと思う。
私の性格が二世帯住宅に向いていないだけなのか。
それとも、二世帯住宅での生活って、みんな何かしら我慢しているものなのか。
逆に、本当に何のストレスもなく、難なく暮らしている人がいるのなら、一度話を聞いてみたい。
どうやって距離感を保っているのか。。
何を我慢して、何を気にしないようにしているのか。
それとも、そもそも私とはまったく違う性格なのだろうか。
二世帯住宅、向いている人と向いていない人って、やっぱりいるのかな。
朝起きて、身体が動かない。
二世帯のこと、あと夫婦のことでも悩んでいるから。
朝、子どもと夫を見送ったら、ただひとりで静かに過ごしたい日がある。スマホいじって、だらだらと。
そんな日は、家の中に人の存在を感じたくない。
出掛けるねって一言だけのやり取りさえ煩わしく感じる。
仕事がある日、普通なら家に帰れば自分の家族だけ。
「ただいま」と言って、あとは好きに過ごせる。
でも、二世帯住宅ではそうはいかないことがある。
玄関を共有している我が家。
家に帰って玄関を開けた瞬間、義両親に会う可能性もある。
もちろん、会えば挨拶をする。当たり前。
でも、「今日は誰にも会いたくない」と思うことがある。
少し話をすることになるかもしれない。
子どもたちのことを聞かれるかもしれない。
静かに自分たちのスペースに帰りたいだけなのに、家に入る前から少し気持ちの準備をしてしまう。
ただ、今日は疲れた。
今日は静かに過ごしたい。
今日は誰とも話したくない。
そんな日もある。
二世帯住宅に住んでいると、「家に帰ればひとりになれる」という当たり前のことが、当たり前ではないと感じることがある。
小さなことなのかもしれない。
でも、こういう小さな気疲れが、少しずつ積み重なっている。
二世帯住宅のストレスを感じているのは、私だけではないのかもしれない。
最近、子どもたちの様子を見ていて、そう感じることがあります。
うちの子どもたちは、祖父母のことが好きではありません。
何か大きな喧嘩をしたわけでも、ひどいことをされたわけでもありません。
でも、日常生活の中であれこれ言われたり、必要以上に関わられることに、子どもたちなりのストレスを感じているようです。
祖父母からすれば、心配しているだけなのかもしれません。
孫がかわいいから声をかけているだけなのかもしれません。
でも、子どもにも「今は話しかけないでほしい」「放っておいてほしい」という時間があります。
親に言われることとは違い、祖父母からも何か言われる。
家にいるのに、どこか気を抜けない。
そんな生活が続けば、「祖父母が嫌い」と思うようになってしまうこともあるのかもしれません。
近くに住んで、たまに会う祖父母だったら、もっと違った関係だったのかなと思うことがあります。
会えば優しくしてもらって、遊びに行けば楽しく過ごして、また自分の家に帰る。
そのくらいの距離感なら、祖父母のことを嫌いにならずに済んだのかもしれません。
でも、二世帯住宅は毎日顔を合わせます。
関わりたくない日もあります。
疲れている日もあります。
一人で過ごしたい時もあります。
それでも、生活が近すぎることで、どうしても関わる機会が増えてしまいます。
二世帯住宅は、親世代だけの問題ではないんだなと思います。
子どもたちにも、子どもたちなりのストレスがある。
「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住めて幸せだね」
そう思われることもあるけれど、実際に暮らしている子どもたちは、必ずしもそう感じているわけではありません。
親である私が二世帯生活にストレスを感じているように、子どもたちもまた、この距離の近すぎる生活に疲れているのかもしれません。
子どもが祖父母を嫌いになってしまったこと。
それは、私にとっても少し悲しいことです。
でも、無理に「仲良くしなさい」と言うことも違う気がしています。
子どもにも、苦手な人や苦手な距離感がある。
家族だから、祖父母だからといって、いつでも仲良くできるとは限らない。
二世帯住宅で暮らすということは、そんな現実もあるのかもしれません。
欲しいものを買ってあげて、2人でお昼ごはんを食べる。
そんな何気ない時間が、私にとってはちょっとした息抜きになっています。
この日も買い物と昼食を楽しんで、15時近くに帰宅しました。
すると義母から、
「どこ行ってたの?!」
と、心配そうに言われました。
いやいや……。
大の大人である私が子どもを連れて出かけているんだから、どこへ行こうと自由じゃない?と思ってしまう。
もちろん、心配してくれているのかもしれない。
でも、心配されるようなことをしているわけでもないのに、「どこに行っていたの?」と聞かれるだけで、なんだか行動をチェックされているような気持ちになってしまいます。