• 地味だけど不満

    • 庭の植木
      • 義両親の好みで植えられている
      • 冬の落ち葉がすごい。朝忙しいのに急いで掃除する事がある。
      • 「私ならもっと手入れの楽な庭にするのに……」
    • 玄関でひょっこり
      • 靴箱を整理していると、ひょこっと現れる。
      • ちょっと物を整理したいだけなのに、急いでしまう。
    • 玄関に置きたいものを自由に置けない
      • インテリア品を「ここにこれ置きたい」ができない。
    • 外に出るタイミングがかぶる
      • 「ちょっとコンビニ行こう」
      • ↓玄関へ
      • ↓義父母と遭遇
      • ↓「どこ行くの?」など話しかけられるのが面倒。
    • おすそわけ
      • 旬のものをと思ってわけてくれるけど、口に合わない。子どもも食べない。
    • 調味料や食材
      • 買い忘れたから貸してと言われる。地味にイラッとする。
  • 二世帯住宅が向いている人って、どんな人なのか、私なりに考えてみました。

    ・お互いの生活に干渉しない。干渉されても気にならない人

    「そっちはそっち、こっちはこっち」ができる人。

    義両親側からすると、子世帯が何か言ってきたら「そうなんだね」と話を聞いてあげられるくらいの距離感。

    お嫁さん側からすると、子どものことや夫のことについて何か言われても、気にせず流せる人。

    お互いに、相手の家庭に必要以上に踏み込まないことが大切なのかもしれません。

    ・価値観の違いを気にしない人

    食事、掃除、ゴミ出し、子育て、生活リズムなど。

    一緒に暮らしていると、「私はこうするけど、あの人は違う」ということがたくさん出てきます。

    それをいちいち気にせず、

    「まあ、いいか」と流せる人。

    これは結構大事だと思います。

    ・何か思うことがあれば、その都度きちんと話し合える人

    嫌なことや気になることを溜め込まず、その都度きちんと話し合える人。

    「こんなこと言ったら角が立つかな」と我慢してしまうと、どんどんしんどくなってしまいます。

    溜め込むのは、体にも心にもよくありません。

    ・プライベートをかなり大切にしたい人ではない

    「家に帰ったら、誰にも気を遣わずゆっくりしたい」

    というタイプだと、二世帯住宅はきついかもしれません。

    ゆっくりしていても、向こうのペースで話しかけられることがあります。

    「その話、今ですか?!」

    みたいなことも。

    一人でぼーっとしたいときに、気軽に声をかけられるのが苦にならない人ならいいのかもしれません。

    ・家族で集まって旅行やイベントをするのが好きな人

    義両親とも一緒に旅行に行きたい。

    毎年、子どもの誕生日やクリスマス、父の日・母の日を一緒にお祝いしたい。

    子どもの学校行事にも、もちろん来てほしい。

    そういうふうに、家族みんなで過ごすことが好きな人なら、二世帯住宅での生活も楽しめるのかもしれません。

    ・共有部分にこだわりがない人

    庭、玄関、お風呂。

    人によってはキッチンなども。

    共有部分が義両親の好みになっても、特に不満がない人。

    「私はこうしたい」という気持ちが強い人ほど、共有部分が多い二世帯住宅ではストレスになるのかもしれません。

    ・親側が、子世帯を「一つの家庭」として尊重できる

    これも、とても大切だと思います。

    「心配だから」

    「家族だから」

    という理由で、何でも口を出さないこと。

    子世帯にも子世帯の生活がある。

    親子であっても、それぞれ別の家庭です。

    その距離感をお互いに守れるかどうか。

    もちろん、玄関・お風呂・洗面所などが完全分離されている二世帯住宅なら、また話は変わってくると思います。

    共有部分が少なければ、顔を合わせる機会も減ります。

    結局、二世帯住宅に向いているかどうかは、間取りだけではなく、人間関係と距離感なのかもしれません。

  • SNSが嫌いな理由

    SNSが嫌です。

    孫を載せられるのが嫌です。

    孫が大きくなってからは、顔は隠すようにしているらしいけれど、それでも嫌。

    イベントのときには、親より前に出て、必死になって写真を撮る。

    その姿を見るたびに、なんだかモヤモヤします。

    「孫がかわいいから、写真を撮りたい」

    もちろん、そういう気持ちもあるんだと思う。

    でも私には、孫を使って「幸せな家族」を友達にアピールしているように見えてしまう。

    きっと私自身が、二世帯住宅で常に悩みを抱え、幸せを感じられずにいるからそう見えてしまうのだと思う。

  • 夫に子どもをお願いして、私が出掛けることがある。

    そのとき私は、夫に子どもをお願いしている。

    なのに、義母が夫に声をかけて、手伝おうとする。

    「大丈夫?」「お昼は用意してある?」と。

    私は夫に子どもを見てほしくて頼んでいる。

    一緒に住んでいると、夫に対してもいつまでも「子ども」という感覚なのだと思う。

    もう大人なのに、何かあるたびに心配している。

    そんなふうに心配させる夫も夫なのだけど。

    孫のこともそう。

    少しでも何かあると、すぐに心配して、いろいろなことを提案してくれる。

    「こうしたらいいんじゃない?」
    「大丈夫?」
    「病院に行ったほうがいいんじゃない?」

    心配してくれているのは分かる。

    でも、正直しんどい。

    勝手に心配して、気になって、早く解決したくて仕方ないようで。

    そして、その「心配」が、いつの間にか私たちの家庭に入ってくる。

    義母は、この二世帯住宅をまとめあげる中心人物なのだと思う。

    家族のことを気にかけて、みんなをまとめて、みんながいい方向に進むようにしたい。

    それが、義母にとっては生きがいなのかもしれない。

    孫たちにも立派に育ってほしい。

    家族みんなにちゃんとしていてほしい。

    そして、世間から見ても「いい家族」でありたい。

    そんな思いもあるのだと思う。

    私は中心人物になりたいわけじゃない。

    家族みんなをまとめたいわけでもない。

    ただ、自分たちの家庭を、自分たちのペースで生活したい。

    別世帯なんだから、もう少しプレッシャーを感じずに暮らしたい。

    義両親が「二世帯で暮らせて幸せ」と言えば言うほど、私はどんどん苦しくなる。

    同じ家に住んでいるからといって、同じ家族の形を求めなくてもいい。

    心配してくれることが、必ずしも「ありがたい」のではない。

    そんなことを、最近よく思う。

  • 職場の人に言われた。

    「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでる子どもって、おじいちゃん、おばあちゃんのこと嫌いな子、多くない?」

    さすがに、それは家庭によると思う。

    でも、うちは当てはまる。

    もし別々に住んでいて、たまに会うくらいだったら、子どもたちは、もっと「おじいちゃん、おばあちゃんが好き」と思えていたのかもしれない。

    普段から干渉されることもない。

    心配されることもない。

    生活ペースの違いにストレスを感じることもない。

    たまに会って、一緒にご飯を食べたり、遊んだりする。

    そのくらいの距離だったら、祖父母との関係も違っていたのかもしれない。

    二世帯住宅なら、孫と毎日一緒にいられる。

    成長を毎日見ることができる。

    それは、祖父母にとっては幸せなことなのかもしれない。

    でも、その幸せと引き換えに、孫から「一緒に住みたくない」と思われている。

    私は、自分の子どもが大人になって結婚して、子どもができたとしても、子どもの結婚相手と、その子どもとは同居しない。絶対に。

    たまに会って、「また会いたいな」と孫とお嫁さんに思ってもらえるくらいの距離でいたい。

  •  

    二世帯住宅で、お風呂を共有しています。

    長く暮らしていると、少しずつ「しんどいな」と感じることが増えてきました。

    ゆっくりお風呂に入れない

    たまには時間を気にせず、ゆっくり半身浴をしたい。

    そんな日もあります。

    でも、子どもが長風呂をしていると、

    「どうしたの?」

    と心配される事があったようです。

    1番風呂には到底入れない

    1番風呂に入ることもほとんどありません。

    湯船に入ると、ゴミが浮いていることもあります。

    そのときは洗面器ですくって入ります。

    好きな時間に入れない

    特に夏は、汗をかきます。

    外から帰ってきたら、

    「今すぐお風呂に入りたい!」

    と思うこともあります。

    でも、共有しているお風呂と脱衣所、洗面所は義両親の生活スペースでもあります。

    そのため、自分たちの都合だけで、好きな時間に入るというのが難しいです。

    入る前も、出た後も気を使う

    お風呂に入る前後には声をかけたり、会話をしたり。

    「まだかな」と待たれているような感覚になると、どうしても時間を気にしてしまいます。

    お風呂くらい、自分のペースで入りたい。

    ただそれだけなのですが、それができません。

    さらに、脱衣所に水滴が残っていると、

    「後で拭こう」

    ということもできません。

    共有スペースだからこそ、使ったらすぐにきれいにしておかないと……と気を使います。

    子どもたちも成長してきた

    子どもたちも大きくなり、お風呂に浸かる時間が以前より長くなりました。

    お風呂から上がったら、すぐにスキンケアをしたい。

    それぞれに自分のペースも出てきました。

    だからこそ、子どもたち自身も「もっとゆっくりしたい」「急かされたくない」と思うことが増えてきたように感じます。

    子どもたちが成長すれば、成長に合わせ生活の仕方も少しずつ変わっていく。それは自然なことです。

    しかし義両親は安定させた、変化のない生活をしている。それも自然なことです。

    しかし、その違いから共有が難しいのだと思います。

    唯一のメリットは……

    ここまで書くと、お風呂の共有は悪いことばかりのようですが、唯一のメリットがあります。

    それは、

    お風呂掃除をしてもらえること。

    以前、自分が掃除をしていたときに「やるよ」と言ってくれました。

    これは本当に助かっています。

    ただ、それを差し引いても……

    お風呂の共有はおすすめしません

    二世帯住宅をこれから建てる人に、

    「お風呂は共有でも大丈夫?」

    と聞かれたら、私はこう答えます。

    絶対ダメ!

    お風呂は毎日使う場所だからこそ、家族それぞれの生活リズムや「自分のペース」が出やすい場所です。

    湯船を2つ設置するとなると費用も倍かかり痛いですが、この先二世帯住宅で暮らすなら、できることならお風呂もそれぞれ分けたほうがいいです。

    実際に共有して暮らしてみて、私はそう感じています。

  • 昔は、義理の家族と同居することも、今より当たり前だったのかもしれない。

    でも今は、核家族で暮らしている家庭が多い。

    一軒家でもマンションでも、親とは別に、自分たちだけの家庭を築いている。

    今の一般的な人達と環境が違うから、私はいつまで経っても「同居が嫌だ」と駄々をこねているのかもしれない。

    家がいちばん安らげる場所であり、気兼ねなく過ごせることが羨ましい。

    子どものお母さんたちと話しているときは楽しいのに、なぜか心の中がすっきりしない。

    「今度、家に遊びに来てね」

    そんなふうに気軽に言うこともできない。

    家に呼びにくいから、自然と人との距離も取ってしまう。

    「自分たちの家族だけの家」がある。

    それは、とても素敵なことだと思う。

  • 二世帯住宅に住んでいると、少しずつストレスが積み重なっていきます。

    人を呼びにくい

    一世帯で住んでいたり、せめて玄関が完全に別なら、友達を家に呼ぶことに何の問題もありません。

    でも、我が家は共有玄関。

    何も知らせずに友達を呼ぶと、

    「誰か来てたけど、誰?」

    となります。

    正直、いちいち知らせたくない。
    誰を呼ぶのか、何をするのかまで干渉されたくない。

    そう思うようになってしまい、

    「じゃあ、そもそも呼ばなければいいか」

    となります。

    昔はここまで気にしていなかったのに、今では「家に人を呼ぶ」ということ自体に、いろいろと気を遣うようになりました。

    友達だけではありません。

    親やきょうだいも、気を遣わせてしまう気がして、なかなか呼べません。

    自分の家なのに、自由に人を呼べない。

    これって、地味だけど結構しんどいです。

    義両親の知り合いが来た時の対応

    義両親の知り合いが来ることもあります。

    もちろん、来客があること自体が悪いわけではありません。

    ただ、こちらが落ち込んでいる時でも、疲れている時でも、そんなことは関係なく来客はあります。

    「こんにちは」と普通に挨拶すればいいだけなのに、その時の自分の気分によっては、それすら苦痛に感じることがあります。

    「こんなことまで嫌だと思う私は、捻くれているのかな」

    と、自分を責めてしまうこともあります。

    郵便受けもインターホンも共有

    郵便物の送り主も見られています。

    誰かにとっては気にならないことかもしれませんが、そういう小さな「見られるかもしれない」が、地味にストレスになります。

    インターホンも共有なので、義両親が時間指定した荷物を、不在のためこちらが受け取ることもあります。

    「指定しておいてなぜいない……」

    と、正直イラッとしてしまうことも。

    そして、自分や子ども宛ての来客が来た時。

    インターホンが鳴ると、大人が2~3人集まることがあります。

    「私のお客さんですー」

    と説明する。

    これも、頻繁となると面倒に感じてしまいます。

    一つ一つは、本当に小さなこと。

    でも、こういう「ちょっとした気遣い」が毎日の生活の中に積み重なっていく。

    二世帯住宅のしんどさって、こういう大きな問題ではない「小さなストレス」の積み重ねなのかもしれません。

  • 二世帯住宅というと、

    「近くに家族がいるから安心」
    「子育てを助けてもらえる」
    「何かあったときに心強い」

    そんなメリットが思い浮かぶかもしれません。

    実際、助かっていることもあります。

    でも、二世帯住宅で暮らしていると、外からは見えにくい「しんどさ」もあります。

    いつも明るくしていないといけない

    気分が落ちている時でも、なかなかそのままではいられません。

    疲れていても、元気がなくても、心配されるかもしれない。

    だから、できるだけ明るく接する。

    毎日それを続けていると、疲れてしまうことがあります。

    家の中くらい、誰にも気を遣わずにぼーっとしたい。

    そんな日もあります。

    家の中に、いつも誰かがいる

    二世帯住宅なので、家の中には常に誰かがいます。

    階は分かれていても、「家の中に自分たちだけ」という時間はほとんどありません。

    義両親が旅行などで家を空けているときは、なんとなく肩の力が抜けます。

    羽を広げられるというか、

    「今日は家の中を気にしなくていい」

    と思える。

    でも、義両親も年齢を重ねて、以前のように旅行に行く事も少なくなっています。

    階が分かれていても、音は聞こえる

    二世帯住宅とはいっても、マンションのようにしっかり防音されているわけではありません。

    リビングの床でごろんと寝転がっていると、義両親のテレビの音や会話が聞こえてくることがあります。

    こちらの生活音も、きっと聞こえています。

    子どもの足音や、扉の開け閉め。

    お互い様なのは分かっています。

    でも、一世帯で暮らしていたら、

    「音が響いていないかな」

    なんて、毎回気にする必要はありません。

    静かに過ごしたいときに、家の中の別の世帯の生活音が聞こえてくる。

    これも、二世帯住宅ならではの疲れなのかもしれません。

    共有玄関が「関所」のように感じることがある

    玄関が共有なので、出かけるときや帰宅したときには、どうしても顔を合わせます。

    挨拶をするのは当然だと思っています。

    でも、

    「どこ行くの?」

    出入りのたびに声をかけることが必要になると、それが少しずつ負担になっていきます。

    仕事から疲れて帰ってきた日。

    本当なら家に着いた瞬間に、ふーっと力を抜きたい。

    でも、

    「ただいま」

    と明るく挨拶するために、気持ちを切り替えなければいけない。

    家に帰ってきたのに、完全には気を抜けない。

    その感覚がしんどいのです。

    共有のお風呂にも、細かい不便がある

    お風呂や洗面所も共有です。

    家族が多いので、洗顔料や化粧水など、私や子どものものを全部置いてしまうと、どうしても容器だらけになります。

    だから、必要なものを毎回バッグに入れて持っていきます。

    温泉に行く時のようなビニールバッグに入れて、お風呂のたびに持ち運ぶ。

    こういう「小さな不便」が毎日積み重なります。

    脱衣所でも、脱いだ服をすぐにカゴへ入れておけないことがあります。

    家族の人数が多いので仕方ないのですが、お風呂の時間を急かされることもあります。

    そして、お風呂から出たら、すぐに義両親のいるリビング。

    そこで、何か一言話す。

    これも、普通の一戸建てで一世帯だけで暮らしていたら、きっと必要のないことです。

    「大したことない」が積み重なっていく

    二世帯住宅。

    「そんなことくらいで?」

    と思われるようなことがたくさんあります。

    挨拶をする。

    音を気にする。

    出かけるときに声をかける。

    帰宅したら挨拶する。

    お風呂の時間を気にする。

    洗面所に物を置きっぱなしにしない。

    どれも、一つだけなら大したことではありません。

    でも、それが毎日、何年も続いていく。

    そうすると、いつの間にか「家なのに完全には休めない」という感覚になっていきます。

    二世帯住宅は、家族が近くにいる安心感がある一方で、「自分たち家族だけの生活」が作りにくい住まいでもあるのだと思います。

    二世帯住宅で暮らしている人にしか分からない、こういう小さな「しんどい」。

    まだまだあります。

  • 毎年、節句やクリスマスをはりきって準備する義母。

    私も子どもの節句をちゃんとしてあげたかった。

    でも、いつも義母が先々と何でもしてくれる。

    義母にとっては、「孫にしてあげたい」という気持ちだけだったんだと思う。

    もちろん、子どものことを思ってしてくれているのは分かっていた。

    でも、母親になった私には、それが少し辛かった。

    「母親は私なんだけどな。」

    そんな気持ちになることがあった。

    子どもがおばあちゃんのほうを好きになってしまうんじゃないか。

    そんなことまで考えてしまう自分もいた。

    テーブルに料理を並べて、飾りつけをして。

    いい感じにセットすると、孫を座らせてパシャリ。

    その姿を見ながら、

    「これって、SNSの映えの為にしてる?」

    と、ひねくれたことを考えてしまった。

    義母は孫との行事を楽しみたかっただけなのかもしれないけど、行事の度に私はこんな事を考えるようになってしまった。