• 子どもや孫のことを心配する。

    それ自体は、過剰でなければ悪いことではないと思う。

    学校のこと。
    友達のこと。
    習い事のこと。
    将来のこと。

    「こうしたほうが幸せになれるよ」と、いろいろ考える。

    親や祖父母なら、自然なことなのかもしれない。

    でも、その「こうしたほうがいい」が強くなりすぎると、少し違ってくる。

    「あなたのため」が、いつの間にか「私の思い通り」に

    子どもや孫には、こうなってほしい。

    この学校に行ってほしい。
    こういう友達と付き合ってほしい。
    こういう進路を選んでほしい。
    こんな大人になってほしい。

    そんな理想があって、

    その通りに進んでいると安心する。

    本人の人生なのに、いつの間にか
    「自分が考える幸せ」へ誘導しようとしてしまう。

    それは愛情なのか、コントロールなのか

    難しいのは、本人に悪気がないこと。

    「心配だから」
    「失敗してほしくないから」
    「幸せになってほしいから」

    という気持ちなのかもしれない。

    だからこそ、周りも「ありがたいことなんだから」と我慢してしまう。

    でも、

    心配することと、人生を決めることは違う。

    アドバイスすることと、本人の選択を尊重することも違う。

    特に、孫は「自分の子ども」ではない

    祖父母になると、どうしても孫がかわいい。

    だから、あれこれしてあげたくなる。

    でも孫には、孫の親がいる。

    そして何より、孫自身にも意思がある。

    小さいうちは手をかけることが必要でも、成長するにつれて、

    「見守る」という愛情も必要になる。

    特に思春期になれば、なおさら。

    子どもは少しずつ親からも祖父母からも離れて、自分の世界を作っていく。

    その時期に、

    「こうするべき」
    「こうなってほしい」

    と周りからレールを敷かれ続けたら、息苦しくなる。

    私は、子どもや孫を大切にすることと、
    子どもや孫を自分の思い通りにすることは、別だと思う。

    「あなたの人生はあなたのもの」

    二世帯住宅で暮らしていると、
    「見守る」と「口を出す」の境界線が、とても難しい。

    家族が近くにいるからこそ、
    どこまで関わるのか。

    どこから先は、その家庭、その親、その子どもに任せるのか。

    二世帯住宅に住むのなら、ここまで考えるべき。

  • 二世帯住宅に住み始めた頃は、
    お風呂を共有することも、そこまで気にならなかった。

    子どもが小さい頃は、
    「おじいちゃん、おばあちゃんが先に入って、そのあと私たちが入る」
    ということも普通だった。

    でも、子どもが成長してくると、少しずつ変わってきた。

    特に思春期になった子どもから、

    「おばあちゃんたちが入った後のお風呂、嫌だ」

    と言われるようになった。

    一番風呂に入りたい。

    自分の好きなタイミングでお風呂に入りたい。

    誰かが入った後のお湯に入りたくない。

    そう思う気持ちも、私は分かる。

    「自分たちの家なのに、完全に自分たちだけの空間ではない」

    そんな感覚が、子どもにも出てきたのかもしれない。

    子どもが小さい頃には気にならなかったことが、
    子どもの成長とともに、どんどん気になっていく。

    子どもが成長したとき、
    思春期になったとき、
    どんな生活になるのか。

    二世帯住宅に建てる前にそこまでの考えに及ばなかった。

  • 子どもの友達が家に遊びに来る。

    ただそれだけのことなのに、
    二世帯住宅だと、ちょっとしたことまで気を遣う。

    玄関で子どもが何かに困っていると、
    私が対応しているのに横から義母が入ってくる。

    「こうしたらいいんじゃない?」

    心配してくれているのは分かる。

    でも、私がもう対応している。

    しかも、そこで私とは違うパターンを言われると、かえってその場がややこしくなることもある。

    子どものことは、私が見ている。

    困っていたら、私が考えて対応する。

    もちろん、悪気がないのも分かっている。

    「困っているから助けてあげよう」と思ってくれているんだと思う。

    でも、
    心配してくれることと、すぐ横から入ってくることは別。

    二世帯住宅だと、こういう小さなことが積み重なっていく。

    家族だから近くにいる。

    でも、近くにいるからこそ、
    もう少し任せてもらえたらいいのに。

    と思うことがある。

    二世帯住宅って、

    家族との距離まで近くなりすぎることがある。

  • 雨が降った。

    そんな時も、子どもを
    「拭いてあげてねー」など、言ってくる。

    言われなくてもする。

    母親だし。

    子どものことは、自分で考えてやってる。

    あなたの子どもじゃない。

    私の子どもです。

  • 子どもが学校を休んだ。

    私としては、本人の気持ちを優先して様子を見て休ませようと決めた。

    でも、二世帯住宅で義両親と暮らしていると、子どもが学校を休むだけでも気を使う。

    同じ家に住んでいるから、当然、義母も気づく。

    「どうしたの?」
    「大丈夫?」
    「学校は?」

    心配してくれているのは分かる。

    悪気がないのも分かる。

    でも、正直なところ、それがしんどい。

    子どものことは、まず親が様子を見て判断したい。

    学校を休ませたことについて、誰かに説明したり、納得してもらったりする必要はないと思っている。

    別々の家に住んでいたら、学校を休んだことを祖父母が知ることすらなかったかもしれない。

    でも、二世帯住宅ではそうはいかない。

    子どものことも、家庭のことも、こちらが何も言わなくても伝わってしまう。

    心配してくれているんだから、ありがたいと思わないといけないのかな?

    また積み重なった。

  • 前は、夫も私の悩みを聞いてくれていました。

    二世帯住宅でしんどかったことを話せば、話を聞いてくれていた。

    でも、今は違います。

    「またか」というような反応をされて、
    最後は「気にするな」で終わる。

    私にとっては、気にしなければ済むようなことじゃないから、苦しいのに。

    夫は、二世帯で暮らすことを当たり前だと思っているんだと思います。

    でも私にとっては、当たり前ではありません。

    二世帯住宅で、一番得をしているのは夫なんじゃないかと思ってしまう。

    自分たちでマイホームを建てることなく、親の家に住んでいる。

    私は、自分たちだけの生活がしたい。

    誰かに気を遣うことなく、家族だけで暮らしたい。

    自分たちの生活を、自分たちで作っていきたい。

    そんなことを考えてしまいます。

    そして今日もまた、色々考えてしまう。

    「このまま、この生活をずっと続けるのかな」

    そんなことを考えると、また苦しくなります。

  • 二世帯住宅で暮らしていると、家の中なのに息が詰まるように感じることがあります。

    そんなとき、私を癒してくれるのが一歳の猫です。

    家のことで辛くなったら、猫をぎゅーっとして、猫吸いをしています。

    ふわふわの毛を吸っていると、不思議と少し元気が戻ってくる。

    何も知らずにそばにいてくれる猫には、本当に感謝しています。

    私の負のオーラ、うつしてたらごめんよと思いつつ…。

    今日も猫に癒されながら、なんとかやっています。

  • 子どもたちは今、思春期・反抗期です。

    親に反抗したい気持ちがあるのはもちろん、祖父母に対しても「ちょっと放っておいてほしい」と思うことがあるようです。

    でも、一緒に暮らしていると難しい。

    祖父母には、どこまで反抗していいんだろう?
    どこまでなら許されるんだろう?

    親子なら「今は反抗期だから」で済ませられることでも、祖父母となるとそう簡単にはいきません。

    同じ家に住んでいるからこそ、孫と祖父母の距離感って難しいなと思います。

    そして、うちの場合は、義母が母親のように子どもたちに接することがあります。

    子どもたちからすると、
    「お母さんじゃないのに、なんで言ってくるの?」
    という気持ちもあるみたい。

    私自身も、そこはちょっと違うんじゃないかな……と思うことがあります。

    二世帯住宅って、大人同士だけじゃなく、子どもと祖父母の距離感も難しい。

    子どもが成長していくほど、その難しさを感じるようになりました。

  • 階が上下で別れている二世帯住宅なら、意外と平気そうに思えるかもしれない。

    でも実際は、常に義両親の存在を気にして生活している。

    義両親のことを考えていない時間は、パートに出ている時間くらいかもしれない。

    床越しに聞こえてくる話し声やテレビの音。

    戸を開け閉めする音。

    朝から玄関で大きな声で話している声。

    出掛ける時、玄関で鉢合わせて一言話すのが面倒だから、なるべく時間をずらして出掛ける。

    外から帰ってくる時も、鉢合わせないように義両親の昼食時間を避けて帰宅する。

    出先にいても、そんなことを考えている。

    もうそれが普通になっている。

    でも、よく考えたら。

    これは普通じゃない。

    自分の家に帰る時間まで、誰かを避けるために考えなければならないなんて。

    夕方以降も、門や玄関の鍵を閉め切ってから「ちょっとコンビニへ」という外出がしづらい。

    小さなことを言い出したら、キリがない。

    ひとつひとつは、本当に小さなことなのかもしれない。

    でも、こういった小さな不満や気疲れが積み重なっていく。

    10数年。

    自由なようで、自由じゃない生活。

    この生活が、あと10年続くのか。

    20年?

    もしかしたら30年?

    いつか介護が必要になったり、子どもたちが成人したりすれば、生活は変わっていくのかもしれないけど。

    でも。

    あと10年も、このままの生活を続けられるのか、自信はない。

  • 二世帯住宅はおすすめしない。

    そんなことばかり書いているけれど、二世帯住宅にメリットがなかったわけではない。

    子どもが小さい頃は、義両親に子どもを見てもらえることがあった。

    上の子を送迎している間、下の子を見てもらえる。

    子どもが複数いると、助かることもあった。

    誰かに預けるためにわざわざ出かけなくても、同じ家にいる。

    「ちょっと見ててもらえる?」ができる環境は、子どもが小さい頃には確かにメリットだったと思う。

    そして、一緒に住んでいるから帰省する必要がない。

    お盆やお正月に「義実家に行かなきゃ」と移動する時間もない。

    毎日顔を合わせているから、久しぶりに会ってよそよそしくなることもない。

    子どもたちにとっても、祖父母はいつも近くにいる存在だった。

    そう考えると、二世帯住宅にもメリットはある。

    特に、子どもが小さいうちは助かる場面も多いと思う。

    ただ、私の場合。

    そのメリットと引き換えにしてまで、一緒に住み続けたいと思えるかというと、今はそう思えない。

    子どもが小さい頃に助けてもらったことは事実。

    でも、子どもが大きくなった今も、ずっと同じ距離感で暮らし続けなければいけないのか。

    二世帯住宅のメリットを受けたことと、これから先もずっと一緒に住み続けることは、別の話なのかもしれない。