• 料理のお裾分け

    旬の食材を使った料理をお裾分けしてくれる。

    「これ、食べてみて」
    「たくさん作ったから」
    「私たちが食べたかったから、あなたたちの分も」

    好意でしてくれているのは分かっている。

    だから、ありがたいと思わなきゃいけない。

    ……そう思ってきた。

    でも、正直に言うと。

    いらないこともある。

    味付けが自分たちの好みと合わないこともあるし、そもそも口に合わないこともある。

    子どもたちが食べるとは限らない。
    私自身も「今日はこれが食べたい」と思っているわけではない。

    それでも、せっかくもらったものだからと、残さないように食べたり、冷蔵庫に入れておいたりする。

    贅沢な悩みなのかもしれない。

    食べ物をもらえるんだから、ありがたいと思うべきなのかもしれない。

    でも、二世帯で暮らしていると、こういう小さなことまで距離が近い。

    「作ったから持ってきたよ」

    その一つ一つを断るのも、なんとなく気を遣う。

    好意だからこそ、断りにくい。

    そして、断れないまま受け取っていると、
    いつの間にか「もらうのが当たり前」になってしまう。

    お裾分けそのものが嫌なわけじゃない。

    ただ、

    「私たちが本当に欲しいものを、欲しいタイミングで選びたい」

    二世帯で暮らしていると、
    こういう小さな「ありがたいけど、正直いらない」が積み重なっていく。

  • 子どもが小さい頃は、
    祖父母が近くにいることをありがたいと思う場面も多かった。

    ちょっと見てもらえたり、
    困ったときに助けてもらえたり。

    でも、子どもが思春期に入ると、
    少しずつ事情が変わってくる。

    親としても、
    「距離を置いて見守ってほしい」
    と思うことが増えた。

    思春期の子どもにとって、
    祖父母はどこまで関わるのがいいんだろう。

    私は、基本的には

    「孫のことは陰ながら心配する。でも、親に任せる」

    くらいがちょうどいいと思っている。

    何度も理由を聞いたり、
    親が対応しているところに入ってきたり、友達とのことに口を出したり。

    そうなると、子どもにとっては
    「心配してくれている」より、

    「干渉されている」

    と感じることもある。

    特に思春期は、
    自分のことを自分で決めたい時期。

    親にさえ言いたくないことも出てくる。

    だからこそ、
    近くにいる大人には
    「見守る」という距離感も必要なんだと思う。

    二世帯住宅だと、この距離感を作るのが難しい。

    玄関も共有。
    お風呂も共有。

    子どもの友達が来れば、
    祖父母にも気配が伝わる。

    学校を休めば、すぐに分かる。

    何かあれば、
    すぐ声をかけられる。

    別々に暮らしていればわざわざ言わなくてもいいし距離があるのが自然だけど、同じ家だとそれが難しい。

    今は、祖父母とは別に暮らす
    核家族の家庭も多い。

    子どもが核家族の友達を見て、

    「いいな。」

    と思うことがあっても、
    私は不思議ではないと思う。

    祖父母が嫌いだからではない。

    自分たちだけの生活があることが、羨ましくなる。

    誰かに生活を見られているような感覚もない。

    思春期になると、
    そういう「自分たちだけの空間」が
    ますます大切になる。

    だから、

    「祖父母がいる=幸せ」

    とは限らない。

    小さい頃にはありがたかった距離の近さが、
    子どもが成長すると
    「近すぎる」と感じられることもある。

    二世帯住宅で暮らしていると、
    子どもの成長によって
    家族に必要な距離感まで変わっていく。

    それを考えずに、

    「昔はよく懐いていたのに」
    「心配だから」
    「家族なんだから」

    だけで関わり続けると、
    子どもとの距離がかえって遠くなることもある。

    思春期の子どもに必要なのは、
    いつでも入ってこられる大人ではなく、
    必要なときに頼れる大人。

    そんな祖父母との距離感が
    ちょうどいいんじゃないかなと思っている。

  • 子どもや孫のことを心配する。

    それ自体は、過剰でなければ悪いことではないと思う。

    学校のこと。
    友達のこと。
    習い事のこと。
    将来のこと。

    「こうしたほうが幸せになれるよ」と、いろいろ考える。

    親や祖父母なら、自然なことなのかもしれない。

    でも、その「こうしたほうがいい」が強くなりすぎると、少し違ってくる。

    「あなたのため」が、いつの間にか「私の思い通り」に

    孫には、こうなってほしい。

    この学校に行ってほしい。
    こういう友達と付き合ってほしい。
    こういう進路を選んでほしい。
    こんな大人になってほしい。

    そんな理想があって、

    その通りに進んでいると安心する。

    本人の人生なのに、いつの間にか
    「自分が考える幸せ」へ誘導しようとしてしまう。

    それは愛情なのか、コントロールなのか

    難しいのは、本人に悪気がないこと。

    「心配だから」
    「失敗してほしくないから」
    「幸せになってほしいから」

    という気持ちなのかもしれない。

    だからこそ、周りも「ありがたいことなんだから」と我慢してしまう。

    でも、

    心配することと、人生を決めることは違う。

    アドバイスすることと、本人の選択を尊重することも違う。

    特に、孫は「自分の子ども」ではない

    祖父母になると、どうしても孫がかわいい。

    だから、あれこれしてあげたくなる。

    でも孫には、孫の親がいる。

    そして何より、孫自身にも意思がある。

    小さいうちは手をかけることが必要でも、成長するにつれて、

    「見守る」という愛情も必要になる。

    特に思春期になれば、なおさら。

    子どもは少しずつ親からも祖父母からも離れて、自分の世界を作っていく。

    その時期に、

    「こうするべき」
    「こうなってほしい」

    と周りからレールを敷かれ続けたら、息苦しくなる。

    私は、子どもや孫を大切にすることと、
    子どもや孫を自分の思い通りにすることは、別だと思う。

    「あなたの人生はあなたのもの」

    二世帯住宅で暮らしていると、
    「見守る」と「口を出す」の境界線が、とても難しい。

    家族が近くにいるからこそ、
    どこまで関わるのか。

    どこから先は、その家庭、その親、その子どもに任せるのか。

    二世帯住宅に住むのなら、ここまで考えるべき。

  • 二世帯住宅に住み始めた頃は、
    お風呂を共有することも、そこまで気にならなかった。

    子どもが小さい頃は、
    「おじいちゃん、おばあちゃんが先に入って、そのあと私たちが入る」
    ということも普通だった。

    でも、子どもが成長してくると、少しずつ変わってきた。

    特に思春期になった子どもから、

    「おばあちゃんたちが入った後のお風呂、嫌だ」

    と言われるようになった。

    一番風呂に入りたい。

    自分の好きなタイミングでお風呂に入りたい。

    誰かが入った後のお湯に入りたくない。

    そう思う気持ちも、私は分かる。

    「自分たちの家なのに、完全に自分たちだけの空間ではない」

    そんな感覚が、子どもにも出てきたのかもしれない。

    子どもが小さい頃には気にならなかったことが、
    子どもの成長とともに、どんどん気になっていく。

    子どもが成長したとき、
    思春期になったとき、
    どんな生活になるのか。

    二世帯住宅に建てる前にそこまでの考えに及ばなかった。

  • 子どもの友達が家に遊びに来る。

    ただそれだけのことなのに、
    二世帯住宅だと、ちょっとしたことまで気を遣う。

    玄関で子どもが何かに困っていると、
    私が対応しているのに横から義母が入ってくる。

    「こうしたらいいんじゃない?」

    心配してくれているのは分かる。

    でも、私がもう対応している。

    しかも、そこで私とは違うパターンを言われると、かえってその場がややこしくなることもある。

    子どものことは、私が見ている。

    困っていたら、私が考えて対応する。

    もちろん、悪気がないのも分かっている。

    「困っているから助けてあげよう」と思ってくれているんだと思う。

    でも、
    心配してくれることと、すぐ横から入ってくることは別。

    二世帯住宅だと、こういう小さなことが積み重なっていく。

    家族だから近くにいる。

    でも、近くにいるからこそ、
    もう少し任せてもらえたらいいのに。

    と思うことがある。

    二世帯住宅って、

    家族との距離まで近くなりすぎることがある。

  • 雨が降った。

    そんな時も、子どもを
    「拭いてあげてねー」など、言ってくる。

    言われなくてもする。

    母親だし。

    子どものことは、自分で考えてやってる。

    あなたの子どもじゃない。

    私の子どもです。

  • 子どもが学校を休んだ。

    私としては、本人の気持ちを優先して様子を見て休ませようと決めた。

    でも、二世帯住宅で義両親と暮らしていると、子どもが学校を休むだけでも気を使う。

    同じ家に住んでいるから、当然、義母も気づく。

    「どうしたの?」
    「大丈夫?」
    「学校は?」

    心配してくれているのは分かる。

    悪気がないのも分かる。

    でも、正直なところ、それがしんどい。

    子どものことは、まず親が様子を見て判断したい。

    学校を休ませたことについて、誰かに説明したり、納得してもらったりする必要はないと思っている。

    別々の家に住んでいたら、学校を休んだことを祖父母が知ることすらなかったかもしれない。

    でも、二世帯住宅ではそうはいかない。

    子どものことも、家庭のことも、こちらが何も言わなくても伝わってしまう。

    心配してくれているんだから、ありがたいと思わないといけないのかな?

    また積み重なった。

  • 前は、夫も私の悩みを聞いてくれていました。

    二世帯住宅でしんどかったことを話せば、話を聞いてくれていた。

    でも、今は違います。

    「またか」というような反応をされて、
    最後は「気にするな」で終わる。

    私にとっては、気にしなければ済むようなことじゃないから、苦しいのに。

    夫は、二世帯で暮らすことを当たり前だと思っているんだと思います。

    でも私にとっては、当たり前ではありません。

    二世帯住宅で、一番得をしているのは夫なんじゃないかと思ってしまう。

    自分たちでマイホームを建てることなく、親の家に住んでいる。

    私は、自分たちだけの生活がしたい。

    誰かに気を遣うことなく、家族だけで暮らしたい。

    自分たちの生活を、自分たちで作っていきたい。

    そんなことを考えてしまいます。

    そして今日もまた、色々考えてしまう。

    「このまま、この生活をずっと続けるのかな」

    そんなことを考えると、また苦しくなります。

  • 二世帯住宅で暮らしていると、家の中なのに息が詰まるように感じることがあります。

    そんなとき、私を癒してくれるのが一歳の猫です。

    家のことで辛くなったら、猫をぎゅーっとして、猫吸いをしています。

    ふわふわの毛を吸っていると、不思議と少し元気が戻ってくる。

    何も知らずにそばにいてくれる猫には、本当に感謝しています。

    私の負のオーラ、うつしてたらごめんよと思いつつ…。

    今日も猫に癒されながら、なんとかやっています。

  • 子どもたちは今、思春期・反抗期です。

    親に反抗したい気持ちがあるのはもちろん、祖父母に対しても「ちょっと放っておいてほしい」と思うことがあるようです。

    でも、一緒に暮らしていると難しい。

    祖父母には、どこまで反抗していいんだろう?
    どこまでなら許されるんだろう?

    親子なら「今は反抗期だから」で済ませられることでも、祖父母となるとそう簡単にはいきません。

    同じ家に住んでいるからこそ、孫と祖父母の距離感って難しいなと思います。

    そして、うちの場合は、義母が母親のように子どもたちに接することがあります。

    子どもたちからすると、
    「お母さんじゃないのに、なんで言ってくるの?」
    という気持ちもあるみたい。

    私自身も、そこはちょっと違うんじゃないかな……と思うことがあります。

    二世帯住宅って、大人同士だけじゃなく、子どもと祖父母の距離感も難しい。

    子どもが成長していくほど、その難しさを感じるようになりました。