振り返ってみると、子どもが小さい頃は、今のように「どうしようもない」と思うほどの悩みはなかった。
「親戚の集まりは全然ないよ」と言われていたけれど、実際には子どものイベントなどで夫のきょうだいがやってくる。私からすればきょうだいも親戚。
もちろん、子どものための集まりだから仕方ないと思う気持ちもある。特に初節句や一歳のお祝い、クリスマス、特に子どもの【はじめて】はみんなでするものなんだろうと。
しかし、私の意思とは関係なく人が集まることが、少しだけど面倒に感じていた。子どものお祝いをしてあげたいのに、お客さんをもてなす事に専念しないといけなくなるから。
二世帯住宅で暮らしていることもあって、私の実家の親には気軽に家に来てもらいにくかったから、それも後悔した。
子どもが小さい頃は、トイトレの時期や卒乳の時期について何かと言われることもあった。
義母は教育熱心なので、文字を覚えるためのおもちゃで子どもに文字を教えてくれたりもした。
覚えさせてくれること自体はありがたい。
でも、覚えさせたことを「こんなことができるようになった」とアピールされるのが、私は少し気になっていた。
私は少しずつ「子どものことに関わってもらうこと」と「自分が子育てをしている感覚」の間で、モヤモヤすることが増えていったのかもしれない。
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